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陶芸の里を訪ねて


内田理奈

"引用の織物"の美

広瀬典丈さん
広瀬さちよさん


広瀬典丈さんとさちよさん。(窯の前で)

ここは愛知県豊明市。名古屋の郊外にあり、そのベッドタウンとなっている。桶狭間古戦場公園の脇を通り、住宅地に入る。床屋さんを過ぎ左へ曲り、小さな坂を登る。左手には家庭菜園の畑が見える。丘の上に広瀬さんご夫妻の"水無方藍窯(みなかたらんよう)"があった。

水無方藍窯ではご主人の典丈(みちたけ)さんがロクロをひき、奥さんのさちよさんが絵付けと、夫婦合作の作品作りをしている。彩色磁器で、ことに流水をモチーフにした染付が有名。

今回は瀬戸の窯元を訪ねるシリーズだが、豊明の広瀬さんご夫妻のところにお邪魔することになった。やきものネットの代表の黒川氏に私の実家(刈谷市)の話をすると、「広瀬さんの窯が近くにあるよ。」と教えてくれたからである。

残念ながら、さちよさんは展示会で不在であったが、典丈さんにお話をおうかがいすることができた。

*インタヴュー後、どうしても片手落ちの感じが拭い去れず、さちよさんと電話でお話をした。その部分は最後に収録

絵描きが主役

・普通の住宅地ですが、最初からここに窯を?

 いえ、父が住んでいた名古屋の名東区で始めました。京都で修行をして、名古屋に戻ってきたのは、父が死んだからなんです。ここ、豊明へ来て、7年になります。

・土はどこのものを使っているんですか?

 今は瀬戸に買いにいっています。
 ただ、磁器の土は、いろんなところから入りましてね、ニュージーランドから入ってきているカオリンと瀬戸の土を合わせて使っています。それが白いといえば白いんです。

・奥様とは、一緒の部屋で作られるのですか?

 仕事場のスペースは完全に分けています。

流水文鉢
・それぞれのペースで作っていらっしゃる。

 ええ。ただ、うちの場合は、形をつくるのが私で、絵を描くのがさちよですから。

 さちよが形を作ることもありますが、基本的には私が形を作ります。私は絵を全然描かないんです。分業になっています。

・お互いの領域に口を出すことは?

 基本的には口を出さない約束でやっています。
 私が何をつくるかは、私の好きなようにやっています。さちよも何を描くかは、好きなようにやっている。踏み込んでしまうと、すごく難しくなっちゃうので。
 陶器の場合は、昔から絵描きが主役なんです。

・そうなんですか?

洗練されたデザインの流水文鉢

 階級社会なんです。一番てっぺんに絵描きがいて、ロクロ師がその下にいて、その他は全部裏方。階級差が昔はありました。

 絵描きという世界、ロクロ師という世界、それが分業の本来のシステムです。彼女は絵描きですからサインも彼女がします。勧められて、最近は私も彫りでサインを入れるようになりましたが。

 基本的にはどちらの作品かということになれば、さちよの作品です。

・そうですか。私は成形で決まると思っていました。

 そういう世界もありますね。絵が描けないぐらい完成されたものもあるし、絵を描けば、うるさくなるものもありますよね。

 私の場合は絵をのせるためのボディだという考え方をしています。

 青磁や白磁でやっている人にとっては、もちろんボディそのものが作品でしょうが、うちの場合は、絵が中心という考え方です。

 白磁の作家より、私の作品はずっと無造作な形です。

"本歌取り"しかありえない


吹墨流水文鉢
うど図角皿
・草月流の愛知県支部長をなさっていたんですね。

 私なんかが、そういうことをやっていたのも、枠組が変わったからです。(笑)

 私はモダンというものに対して否定的なんです。私たちの作品をモダンだという人もいますが、私にとっては褒め言葉じゃない。私は芸術家といわれるのも嫌いです。よく褒め言葉で「芸術にまで高めた」といういい方をしますが、陶器屋が陶器屋としてものを作ったときに、そんなことをいわれたくない。

・日本の現代陶芸の世界で、ご自身の位置づけは?

 現代のということはよく分からないのですが、私たちがやっていることは、個性的ではないし、自我を表現することもしていない。

 何をしているかというと、いわゆる"引用の織物"です。けっして独創性ではない。すべてのものは過去に何かがあった"本歌取り"の世界なわけです。

釉裏彩蜜柑図皿
 何かがあって、それを真似てつくりあげていくという世界です。
 何をどうとらえるかという場合、私は、何でも奪えるものは全部奪うという考え方です。

・"本歌取り"というのは日本において、ひとつの技術ですよね。

 というより、「そういうあり方しかありえない」という考え方ですね。
 たとえばいけばなの研究会で、いっぱい独創的な花が出るわけですよ。でも、その独創的な花たちっていうのは、みんな似ている。なんで、それぞれに独創的であるはずのものが、あんなによく似ているんでしょう?

・西洋のデザインでも、使われているモチーフは、どこかから持ってきたものですよね。

 それは、みんなも認めています。それでいいんだと。古いものから何かを取り出したからといって、独創的でないかというとそうじゃない。

 "引用の織物"というものを否定する人は、今はいないと思う。でも、引用から新しいものを作ったということで、「独創性」を延命させようとする。そういう考え方自体が、私は"自我の神話"だと思うんです。

・"自我の神話"?

 「私を発見したい」とか、「自分探し」とかいう言葉がありますよね。ところが自分というのは本当に探さないと分からないわけです。それを発見するのは、自分が勝利したときです。

 つまり権力意志なんです。権力意志以外のところに、自分というものはないわけです。

・ずいぶん厳しいですね。

 

釉裏彩烏瓜鉢
筍釉裏彩上絵陶画

 ものをつくる場合に「これは自己実現」「これはすごくわたし的なんだ」といういい方をしてしまうのは、だめなんだと思うんです。

・「自己実現」という言葉は本当に流行っていましたね

 ある時代までは確実にあったものがとり払われて、別の枠組に変わるということが起きます。あるとき突然入れ替わる。

 20世紀の枠組は、まさに自我の世紀ですね。自己実現ということが最大に意味があった時代だった。今は過渡期だと思います。

 お話をお聞きしていた部屋は、まさにギャラリーのような空間で、お二人の作品がお行儀よく飾られていた。

 外に出ると、「まさにこの場所が、桶狭間の合戦で、今川義元の首がころがったところです」と広瀬さんが足元を指差す。440年ほど前には3千を超える人が亡くなった地に、今はのどかな家庭菜園がひろがる。

 私は畑の手入れをしている人たちを眺めた。整えられた幾筋もの畝は、まだ芽も出ておらず、土だけで美しい。お裾分けの野菜が、奥さんの絵になることもあるという。

 後日、さちよさんへ電話インタヴューをした。


夫は技術的なアドバイザー

・どうして分業方式をとっていらっしゃるんですか。

 最初のころは私もロクロをひいてたこともあります。でも、早くから、この分業体制でやっています。夫はロクロが専門ですし。私は絵が描きたかったから。

 陶芸作家というものが出てきてから、全部自分でやるようになりましたが、もともとの陶器作りは、分業ですから、私たちは新しくない形式でやっていることになりますね。

さちよさんの仕事場
・ロクロどんどんできて、繊細な絵を描くさちよさんは、時間がかかることはないのですか?

 絵描きの仕事は、時間がかかるのではなく、付加価値が高いのです。

 ロクロの裏場の仕事は、とても時間がかかりますので、ちょうどいいバランスなんですよ。

・旦那様はいけばなをなさっているし、釉薬の研究もなさっていから、絵に対して注文されることは?

 それはありません。
 どちらかというと、私の思い描く色や絵の技法があって、それを実現するためにはどうしたらいいのかと夫に相談するんです。そうすると、こういう技術があるなどといってくれます。


ダミの濃淡のリズムを生かした鉢。
アール・ヌーボーの影響を受けた葉脈のモチーフ
形があって絵が浮かぶ

・同じものを何点も制作する場合、まったく同じように描くのは、大変なのでは?

 大筋のところは同じですが、細かいところは、違っているんですよ。1つずつ描くつもりでやっています。

・テキスタイルのデザインをされていたんですよね。どうして陶芸を?

 旅行中に織部に出会ったからです。突如として、その魅力にとりつかれて。
 それで会社を辞めて、瀬戸の窯業訓練校へ行きました。

・織部を見て感激したというだけで、食べていける仕事を辞められたんですか?

 そのころは貧乏が平気だったんですよ。何もなかったから。世の中が動いていたというか。

 そういう意味では、今の若い人はかわいそうですね。


染付釉裏紅金銀彩流し模様陶箱。高い技術に支えられた現代的な絵柄。

・ご自身は織部はお作りになりませんね。織部と、さちよさんの繊細な絵とでは、全然方向性が違っているように見えます。

 
  そうですね。でも、""ということでは共通していますよ。キーワードは""です。

 こどもの頃から絵を描くのは好きでした。

・日本画のような絵をお描きになっていらっしゃいますが、その道に進まれることはお考えにならなかったのですか?

 とっかかりがないのは駄目なんです。形があって、絵が浮かんで来るんです。

・日本画から影響を受けられることはありますか?

 どちらかというと、日本の古い着物なんかからの影響が強いです。
 琳派のデザインには昔から惹かれています。


釉裏彩金彩紅白梅図大鉢。琳派の影響を受けた、片身替わりの意匠。
*片身替わり: ある部分で切って、そこを境にしてがらりと違う手法を用いる日本の伝統的意匠。

 今は、紅白の梅を描いています。影響は、いろんなものから受けますね。


・「片身替わり」は素晴らしいです。日本画の手法ですか?

 いえ、日本画というよりも、日本で生まれた意匠ですね。

 私たちがやっていることは、けっして新しいことではないんです。

・以前、お描きになっていた「イズニーク模様」に興味を持ちました。さちよさんの作品は、磁器の白い肌の上に、アラベスクな模様が繊細に描かれています。とても新鮮な感じがしました。

 もう最近は描いていないんですよ。ただ、その時に描いていた点描の技法は、現在も使っています。

・流水文や波の絵をずっと描き続けられていますね。

 私のやっている染付は、藍の色を使います。その藍が水を連想させるんです。水の魅力は自在で、広がりを感じます。その抽象性が好きです。

 私は岩手の三陸海岸のそばで育ちました。水がいつも身近にあったので、そういうことも影響しているのかもしれません。

・ところで、どうやってご主人と知り合われたんですか?

 京都の訓練校で。でも、彼が卒業すると、私が入学したので、学校ではすれ違っているんです。
 じつは、私が入学前に学校を下見に行ったときに案内してくれたのが夫だったです。


釉裏彩花模様蓋付壷。金と藍のコントラストが映えたイズニーク模様。
*イズニーク模様: 古いトルコのタイルの意匠

・それはすごい偶然ですね。

 そう、何でも偶然。夫も、焼物も。仲間うちで、わいわいやっているうちに結婚したんです。


 さちよさんは、静かでいながら、高みを目指すしたたかさがある。強い生命力がある。これからも、典丈さんといくつもの山を登り、頂上で喜びを分かち合い、また次の山を目指していかれることであろう。

2002/11/29
内田理奈