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1924年(0歳)
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12月10日岐阜市に生まれる。
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1937年
(12歳)
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岐阜県立第一工業学校機械科入学。
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1940年
(15歳)
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父豊一肺結核のため死去。このため第一工業学校を中退。 俳句といけばなを始める。 ▲
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1941年
(16歳)
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共同毛織株式会社用度課勤務。池坊入門。
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1943年
(18歳)
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則天門(瓶花の流派)に転向。松波宗寿氏に師事する。茶道裏千家入門。
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1944年
(19歳)
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共同毛織珠式会社退社。山上生活を送りながら専験受験準備。中支部隊入隊。 ▲
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1945年
(20歳)
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武漢の陸軍病院入院(肺結核のため)。終戦。
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1946年
(21歳)
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復員。岐阜県立工業専門学校図書課勤務。未生流に転向。
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1947年
(22歳)
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東海夕刊・岐阜タイムス入社。(後に岐阜新聞と社名変更)文化部勤務。 ▲
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1948年
(23歳)
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超流派「東雲会」を結成(雅号 彼蒼)、白木の看板をかかげる。これがきっかけとなり他流派との会合「むくげ会」生まれる。「むくげ会」は後に「岐阜創作いけばな集団」「岐阜県いけばな協会」に発展する。後藤あや子と結婚。 ▲
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1949年
(24歳)
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岐阜県花道連盟結成に加わる。第1回展、第2回展に「東雲会」として出品。
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1950年
(25歳)
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草月流に転向。
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1952年
(27歳)
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草月流四級師範となる。肺結核のため入院、肋骨7本を切除する。病床で 俳句をまとめる。 ▲
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1953年
(28歳)
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5月、草月流師範、広瀬比沙雄により「草月流うつぎ会」結成。1月初いけ会(岐阜市「満鉄園」開催)を「第1回うつぎ会展」とする。「むくげ会展」開催。第5回岐阜県花道展に門下6名と共に出品。(泡ガラスと時計のぜんまいを用いたオブジェ)
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1954年
(29歳)
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第6回岐阜県花道展に門下6名と出品。(みつまたによるモビール)
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1955年
(30歳) |
1月、「第3回うつぎ会展」(岐阜市「満鉄園」開催)。岐阜市ハヤシ毛糸店ウィンドウ装飾を「うつぎ会研究会」として行う。(翌年春まで)11月、第7回岐阜県花道展「牛」出品。
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1月「アメリカ将校夫人の草月流いけばな展」主催、於岐阜市柳ケ瀬「丸万」9月、勅使河原蒼鳳来岐、講習会、講演会を行う。9月、勅使河原蒼風来岐、講習会、講演会を行う。うつぎ会員68名参加。松竹全日本いけばなコンクールで中部地区代表となり、全国大会佳作入賞。 |
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1月、FBK繊維の女王発表会」ファッションショー舞台装置。第4回「草月流うつぎ会展」開催、於岐阜丸物百貨店。蒼風賞受賞。映画1花は嘆かず」のためのいけばな(岐阜劇場)その後も劇場玄関のいけばなを継続。5月、岐阜タイムス退社。中部地区草月展出品。6月「草月流いけばな展」開催、於岐阜丸宮百貨店。8月第5回草月流うつぎ会展開催。10月、産経全日本いけばな一100人展出品(於大阪松坂屋)。11月ファッションショー「服装史」現代の部の舞台装置。
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1月、 岐阜丸物百貨店正月ウィンドー装飾を引き受ける。(〜1968年まで)同月、「岐阜創作いけばな集団を結成。「創解いけばな展」開催。74点をうつぎ会から出品。第6回「うつぎ会展」開催。10月「うつぎ会報」発刊。11月、県音楽祭、三田美代子バレー舞台装置。法人洋裁学校ファッションショー舞台装置。
昭和34年(34歳)
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花とのれん展
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1月、丸宮百貨店、加藤洋服店の正月ウィンドウ装飾を行う。(以後毎年行う)「草月流新春いけばな展」岐阜丸物百貨店、開催。出品会員数131名。法人洋裁学校ファッションショー舞台装置。岐阜成人学校で「造形いけばな」の講演。2月「生活造形の会」坂井範一(新制作協会)人江雄太郎(建築家)、狭間寿郎(日量美会員)、武藤六郎(版画家)、細野峰代(デザイナー)、加藤澄子(手芸研究家)、と共に結成。草月賞受賞。3月「働らく婦人のためのファッションショー」舞台装置。6月、婦人サークル「しるべ会」で、「新しいいけばなについて」講演。NDKファッションショー舞台装置。7月、岐阜ライオンズクラブ婦人部の集いで「新しいいけばな」講演。8月名古屋教室開設。9月「花とのれん展」ぎんろう会と共催。10月、三田美代子発表会、女の舞台にオブジェ。 ▲
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60年岐阜県華道連盟出品作
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1960年
(35歳)
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1月名古屋に日立ファミリーセンター開設。講師となる。「草月流春のうつぎ会展」(第7回)開催。2月、岩崎洋と三浦洋一によるピアノ演奏会ステージにオブジェ。3月、草月会顧問となる。4月、大垣「うつぎ会展」開催。諏訪根自子のヴァイオリンリサイタルにオブジェ。6月「サロン・ド・ギャトルシック第1回帰朝作品発表会」ファッションショー舞台装置。 三共毛織KKの外国向けパンフレット(テトロミックス)にオブジェ作品。8月、岐阜県花道連盟脱会。8月、大阪「宇宙博」に寄せるオブジェを依頼され、制作。10月、NDKファッションショー舞台装置。第8回「うつぎ会展」開催。名古屋日立ファミリーセンターで「オブジェと音楽鑑賞」の構成、演出。12月、勅使河原蒼鳳来岐、講演会、講習会を行う。(うつぎ会主催)。 ▲
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1月「欧州民俗衣裳と服装史ならびに現代ショー」舞台装置。2月「花ときもの展」共催。5月、名古屋第一銀行に鉄オブジェ。8月、名古屋松坂屋で開催予定のうつぎ会展、水害のため中止。母しやう脳腫瘍のため死去。9月、岐阜県いけばな協会結成「岐阜県いけばな10人展」開催。
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2月、第9回「うつぎ会展」開催。2月、中京地区草月展出品。6月、琴曲演奏会のための舞台装置。11月、第2回岐阜県いけばな10人展開催。
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 岐阜県いけばな代表作家展
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1月、名古屋栄地下展示場で「広瀬比渉雄教室展」開催。2月、第10回「春のうつぎ会展」開催。3月、草月流岐阜支部、愛知第6支部結成され、支部長就任。5月「岐阜県いけばな協会展」開催。7月、第11回「うつぎ会展」開催。(名古屋オリエンタル中村百貨店)
8月、NHKテレビで、「新しいいけばな」について出演解説。9月「岐阜県いけばな代表作家展」開催。10月「岐阜支部結成記念いけばな展」開催(草月流岐阜支部主催)。
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 結婚式場
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1月「うつぎ会春の小品展」開催。3月師範合理事となる。4月〜5月、カナダ万博文部省派遣いけばな使節として、勅使河原蒼風随行、ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、オタワ、トロント、ウィニペッグ、バンクーバーといけばな普及の旅行。8月、帰朝記念「広瀬比沙雄いけばな展」開催。「第4回、岐阜県いけばな代表作家展」開催。10月、第12回「うつぎ会展」開催。 ▲
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研究会 |
1965年
(40歳) |
8月、「第5回岐阜県いけばな代表作家展」開催。 |
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1966年
(41歳) |
4月、中日文化センター設立、講師となる。5月、第13回「うつぎ会展」開催。6月、イケバナインターナショナル名古屋支部で、講演とデモンストレーション。11月、日立ファミリーセンター閉館。第14回「うつぎ会展」-菊によせる-開催。 |
赤堀鶴登襲名舞踊会 |
1967年
(42歳) |
1月「中部美術文化展」に共賛出品。3月、再び草月賞受賞。5月、第15回「うつぎ会展」開催。10月、赤堀鶴登襲名舞踊会にオブジェ。東海銀行本店にいけばな。
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1月「うつぎ会報」復刊。(42〜49号)4月「現代に生きる親鸞展」に大作出品。(名古屋オリエンタル中村)5月、 第16回「うつぎ会展開催。6月、 宝石展にいけばな。(於岐阜丸物百貨店)
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越智実バレエ団公演舞台装置
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2月、東京教室開設。4月、広瀬比沙雄によるいけばな師導のカリキュラム化をはかる。大阪千里教室開設。いけばなの常設展示の場として、いけばな喫茶「うつぎ」を名古屋栄ではじめるが経営難で一年後に閉鎖。7月、浜松教室開設。8月、うつぎ会夏期講習会。10月、第18回「うつぎ会展」開催。名古屋覚王山教室開設。12月、越智実バレエ団第41回公演舞台装置(愛知県文化講堂) ▲
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うつぎ会ファッションフラワー展 |
1971年
(46歳) |
4月「うつぎ会ファッションフラワー展」開催。(岐阜、山勝百貨店)6月、財団法人草月会の評議員就任。7月、財団法人草月会理事に就任。イケバナインターナショナル名古屋支部で、いけばなのデモンストレーション。9月、中部地区支部連絡事務所長に就任、9月〜10月欧州旅行(パリ、ジュネーブ、アルプス、ミラノ、フローレンス、ローマ、ナポリ)10月、「うつぎ会習作展」開催。▲
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9月、 第19回「うつぎ会展」開催。10月、岐阜から名古屋に転居。12月、イケバナインターナショナル名古屋支部でクリスマス、正月花のデモンストレーション。
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7月「花村別いけばな芸術全集」(主婦の友社刊)9に作品掲載。7月、うつぎ会納涼いけばな展開催。(名古屋観光ホテル)。9月、 第20回「うつぎ会展」開催。
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2月、イケバナインターナショナル名古屋支部でいけばなデモンストレーション。3月、草月功労賞受賞。日本いけばな芸術協会理事に就任。3月、 第21回「うつぎ会展」開催。4月、草月会本部委員となる。財団法人草月会理事に再選。 カードニュースにいけばなコラムを連載。9月、日本いけばな芸術中部展、副実行委貝長に就任。12月、イケバナインターナショナル名古屋支部でデモンストレーション。 ▲
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1975年
(50歳) |
1月、中日劇場入口に大作を活ける。一宮名鉄丸栄百貨店ウィンドウ装飾。中日いけばな協会設立、副理事長に就任。9月、第22回「うつぎ会展」開催。11月、浜松中日文化センター講師となる。12月、京都朝日会館で草月流のいけばなについての解説とデモンストレーション。▲ |
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1月、FM愛知で「いけばなの楽しみ」と題して4回にわたって話す。2月「中日いけばな芸術展」運営。3月、腹部に痛みを感じ通院。4月末から名古屋勤労婦人センターで3ケ月間いけばな指導をはじめる。6月、日赤病院入院。8月、第23回「うつぎ会展」を準備、痛みと衰弱が大きく断念。10月、背中に腫れがきて岡山病院で手術。肉腫とわかる。 11月うつぎ会研究会に出席、最後のはなを活ける。12月3日まで、翌年3月の中日いけばな芸術展の出品作を準備。「昇華」と名づける。再入院。入院中、いけばなの指導カードを順を追って説明録音、テキスト作成。
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1月半ばより再び、ゆっくり昏睡状態となり、22日未明死去。3月、第2回「中日いけばな芸術展」に遺作「昇華」出品。10月、第23回「うつぎ会展」に広瀬比沙雄遺作展」を加え、いけばな作品写真と、オブジェ数点を展示する。
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10月、 第23回「うつぎ会展」、広瀬比沙雄遺作いけばな作品写真とオブジェ数点を加えた「広瀬比沙雄追悼遺作展」として、丸栄スカイル画廊特設会場で開催される。
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