広瀬比沙雄俳句



広瀬比沙雄俳句

Index母一人_召され征く_冬の蚊の_部屋の冬_見馴れたる_桑枯れて_笛ひきて_病みてまた_埋火に黙せば
外し取り_咳きて母の_寝つかれぬ_友征くや_雲影の_誕生日_風見えて_遠山の_雪山の_墨すれば_ペンの錆
玻瑠戸冷ゆ_白皿の_早春の_早春の蒼天_豚病んで_下萌えや_乳牛の_墓石の_同級生_峯々の_春山の_明暗は
鉄橋の_鳥の跡_二月空_病院に_看護婦の_看護婦の白衣_病室の_春寒や_外套の_風花や_車窓拭けば_雪雲の
ふるさとを_雛店の_光なき_碧天の_春燈に_孤愁あり_歩兵銃_歩兵銃擔ふ_新樹間銃_咲ききりし_転落の
回想の
_恩讎の_人の世の_梅雨の夜の_梅雨の夜の遺影_聖燭は_酷評に_浄らけき_浄らけき甘さや
征く日近し_冷麦に_笑み交はし_白百合の_壷に暮れて_白百合に_したゝれる_白百合の雌蘂_彼の丘の
月見草_乳首濃き_サイレン_月明の_新秋の_心砕け_微熱ある_新秋の旭光_郷愁の_午を寝る_したゝらす
みやしろの_冷えし茶は_頬杖の_土手の露_初時雨_白雲の_征く日待つ_天高し_君を待つ_小春日の
飛騨路なる_視線とらへ得ず_あたたかき_身のまはり_冬菊の_風花や_ふるさとに_アカシヤの
郷愁のしきりなる_ふるさとを恋へば_大陸に_支那町の_一望に_強心剤_凍る灯の_冬ざるる_盛ンなる
白ばらに_隔離舎の_傅染病棟_隔離舎の_枕頭のけし_再会を_くらげ透く_海を抱く_手鏡の_泉水に
水充ちて_隔白タイル_金魚沈み_よみがえる_草笛を_うに買って_炎日に_逆境の_あぢさいに_烈日や
君人妻_あれ程の_求職の_徒食して_秋の香_土手に来て_奥飛騨の_おとめづく_鰯雲_くちづけの
鳶の輪の_みのる田の_引眉の_生きて居る_たまゆらの_いつまでも_吾が顔の_秋といふ_長き手紙
膝を抱けば_思ひ出の_なりはひに_かかる感慨_維摩居士_維摩居士ここに_行年の_オリオン座_電車待つ
寒月や_寒燈や_白棒落ち_ビルディング_雁見送り_職辭すや_朱筆手に_フリージヤの_乖背の_やはらかき
オリオン座一夜の_寒月を_わかるるや_くちづけし_汝を恋えば_吾子といふ_葡萄酒に_人待てば_寒き日は
妻を持ち_人妻と来て_いてふ黄葉_寒灯や_冬空の_冬の蝿_ひとりごちて聞く_顴骨の

母一人子一人住みて月の秋

(昭和十八年九月)1943年

召され征く日は近くして秋燕
冬の蚊のむくろ白紙に落ちて来ぬ 

―問借(一句)―

部屋の冬ガラス戸三つ空三つ 

見馴れたる冬木伐られて風ありぬ

桑枯れて雲はろばろとひろごりぬ

笛ひきて汽車は目に見ず冬の山

病みてまた屏風に思いつきるなく 

埋火に黙せば友も黙すなる

―金属供出―

外し取りゆく暖房たゞ見守る

咳きて母の気づかふ眼と會ひぬ

寝つかれぬ蒲團の重みに堪えて居つ 

友征くや冬帽とりてたゞ打振る

外套の薬瓶出して彳ちて居つ

雲影の白石渡る冬河原

風見えて落葉の影の地につかず 

誕生日時雨るるままに月ありぬ
(昭和十八年十二月)
遠山のうすれて空は冬の藍
雪山の雪影ふかく初日かな
墨すれば墨の匂や寒日和 
ペンの錆書けば音しぬ寒見舞
玻瑠戸冷ゆ稚子の寝顔に見入るとき
―匂会―(昭和十九年一月)
白皿のみかんに電燈静かなる
早春の肌にみどり児乳ふくむ 
早春の蒼天見ゆる機を織る
豚病んで戸外の日射し春浅き
下萌えや鳩の素足のほのとあかき
乳牛の乳房のはりや下萌ゆる 
墓石の冷さにふれて椿さしぬ
同級生續き御盾なる二月
―二月十九目義兄急病(以下)―
愁あり霜の鉄軌をひた走る

峯々の雪の起伏に夜の明くる 

春山の上なる雪嶺見えて来ぬ
明暗は割然として雪の峯
鉄橋の鉄骨の中に焼野見き
鳥の跡河原の砂に冱返る 
二月空蒼し黒煙滲み入りぬ
病院に春泥の靴の紐解きぬ
看護婦のスリッパひびく餘寒かな
看護婦の白衣行き過ぐ廊下冷ゆ 
病室の冷きドアの前に佇つ
春寒やみとり疲れの姉の顔
外套のボタン外しつベッドに近づく
風花や病室冷えてゆくばかり 
車窓拭けば雪の田畑は暮れかかる
(昭和十九年二月)
雪雲の去れば濡れけり高嶺星
―徴用IM(一句)―
ふるさとを恋ふと戦帽に苧花抜く
雛店の雛青玻瑠に笛を吹く 
光なき白壁の白さ春雷す
(昭和十九年三月)
碧天の春と白鳩飛び惑ふ
春燈に心の流轉とどまらず
(昭和十九年四月)
孤愁あり梨の花咲く園に来て 
歩兵銃馴れて新樹にねらひ居り
歩兵銃擔ふ新樹の道續く
新樹間銃を捧げて立ちつくす
咲ききりし壷の姫百合時計鳴る 
(昭和十九年五月)―退社(三句)―
転落の運命(サダメ)に堪えて軍衣着ぬ
回想のまなじり熱き木下闇
恩讎の日月盡きて河鹿鳴く
人の世の廿才は過ぎぬ飛ぶ蛍 
―友の戦死をゆくりむくも家を訪れて知る―
梅雨の夜の遺影の笑まい香炊きぬ
梅雨の夜の遺影ほほ笑みて泣く母に
聖燭は夏虫秘めてつめたかり
(昭和十九年六月)
酷評に堪えて盛夏の句を綴る 
浄らけき茶碗の白さ虎ヶ両
浄らけき甘さや虎ヶ両を飲む
征く日近し冷麦の白さいたゞきぬ
―友応召―
冷麦に言葉少なく送らんか 
笑み交はし、ただ冷麦を食む送別(ワカレ)
白百合の明暗ほのかな壷に座す
壷に暮れて深山の百合の香に酔ひぬ
白百合に一人の部屋の灯を點す 
したゝれる灯に白百合の影は歪む
白百合の雌蘂のみどり香を放つ
彼の丘の月見草の香君知るや
月見草黄に過ぐ丘に臥して臭ぐ 
(昭和十九年七月)
乳首濃きデッサンなりきソーダ水
―空襲警報(二句)―
サイレン夜気に滲みとほる
月明のあまねき屋並に人黙す
―健民修錬所入所を前に感冒にかかる二句―
新秋の風邪なり薬臭膚(ハダ)につく 
心砕け水薬かざす七ツ星
―健民修練所(三句)―
微熱ある半裸に烈日歩まざり
新秋の旭光盈つる裸身かな
(昭和十九年八月)
郷愁の男嗅強き蚊帳を吊る 
午を寝る鵜に秋水の静かなり
したゝらす秋水君のオールより
―護国神社―
みやしろの秋は鵜川の澄みてより
冷えし茶はさみしき吾れをうるほはす 
頬杖のデスク冷し雲を見る
曼珠沙華破れし恋は忘るべし
土手の露夕日は炎(ホムラ)を立てにけり
初時雨故郷の友はありとのみ 
(昭和十九年九月)
白雲の白き流れて野菊咲く
征く日待つ星のいのちの照り曇り
―現役証書手にす―
天高しい征く日すでに決りたる
(昭和十九年十月)
君を待つしばしや冬の駅ぬくし 
小春日の飛騨の川原の岩やぬくし
飛騨路なる冬日は燕を緋としぬ
視線とらへ得ず冬雨の窓に眼を轉ず
―入営の為役所を退く―
あたたかき冬の雨降るわかれかな 
(昭和十九年十一月)―入営を明目にして―
身のまはり既に全し菊を活く
冬菊の香はふるさとの匂なり
風花や兵となる日のきびしさに 
(昭和十九年十二月)
ふるさとにつながる鉄路のすみれかな
アカシヤの落花に坐して戦友(トモ)を恋ふ
郷愁のしきりなる日の星凍ぬ 
ふるさとを恋へば冬雲ひろごりぬ
大陸に雲なき冬の黄たんぽぽ
支那町の春は乞喰の胡弓より
一望に古塔ひとつの春なりき 
強心剤射つや寒燈ゆらめきし
凍る灯のコレラ病棟よこたはる
冬ざるる汽笛のひびきとどくとき 
盛ンなる木の芽に堪えてわかれむか
白ばらに理性正しく保ち居き
隔離舎の廊下は長き梅雨に入る
傅染病棟しんしんとしてとかげ出づ 
隔離舎の柵のとかげは真黒なる
枕頭のけし散りしより雨となる
再会を約す五月の海蒼し
くらげ透く白き光のとどろくところ 
海を抱く丘はろばろと春熟るる
手鏡の流転の顔や日焼しぬ
泉水に水あふれゐる金魚かな
水充ちて金魚の朱は澄みつくす 
白タイル腹のせ休む金魚はも
金魚沈みタイルのみどり相並ぶ
よみがえる童心夏の雲を見る
草笛を吹きしが今日の悔強し 
(以上、昭和二十〜二十一年六月)
うに買って戻ればとかげ走り出づ
炎日に心象細る生活苦
逆境の盛夏に全身さらしつつ
―M子結婚―
あぢさいに黙しっかれて灯を點す 
烈日や吾が恋人は人妻に
君人妻ちちろは夜々をはなやぎぬ
あれ程のちぎりも空しざくろ咲く
求職の幾日の疲れ蝉を聞く 
徒食して愛憎もなし南瓜咲く
秋の香たくよりうすき恋なりき
土手に来て口笛吹けば水澄みぬ
奥飛騨の蜩鳴くに髪を梳く 
おとめづくお隣の子よ鶏頭咲く
鰯雲やけになってやろうか
くちづけの一瞬カンナ更に燃ゆ
鳶の輪の崩れて秋天暮れかかる 
みのる田の景色の人となりて行く
そばの花引眉うすき人と坐す
引眉のうすかりければ秋の蝶
生きて居るさみしさ切に鳴子引く 
たまゆらの感傷なりき鵙たける
いつまでも心傷癒えず流れ星
吾が顔のをかしく映えて花瓶冷ゆ
秋といふしろがねの雲海につぶやく 
長き手紙破れば秋の雲白し
膝を抱けば霜枯れの菊鮮か
思ひ出のほぐくる柿の落葉かな
なりはひに疲れ夜長の灯を點す 
かかる感慨コスモスの道は細く
維摩居士慈顔の前の冬日かな
維摩居士ここに黙して冬の雲
行年の小櫛に残る抒情かな 
オリオン座すなほな髪の人をふと
電車待つ年の市なる灯に疲れ
寒月や宿命さけるべくもなく
寒燈や理性のをとことなり得ずて 
白棒落ちひそやかに悔迫る
ビルディング暮れつつ雁の帰りかな
雁見送りていしが巷の人となる
職辭すやひねもす寒き春の雨 
朱筆手に伊吹の春をまのあたり
細筆にこもらふ春は闌けにつつ
フリージヤのひそかな蘂よ手紙書く
乖背のわぎもを恋へば柳絮飛ぶ 
やはらかき紫煙孤独のセルを這ふ
(昭和二十三年)―恋―
オリオン座一夜の恋の幸を得て
寒月を巻雲流すくちづけぬ 
わかるるや地平の冱て星茜増す
くちづけし彼の夜の星はかく冱てき
汝を恋えば寒く星屑流れ次ぐ
吾子といふ肉塊抱けば蛍とぶ
(昭和二十七年)―病室にて―
葡萄酒に酔えぬ冷き膝を抱く 
人待てば時雨は星の灯を濡らす
寒き日はこけしの笑まひ愛し居り
妻を持ち男恋する泥田打つ
人妻と来て枯草の皆紅き 
いてふ黄葉あまた病臥の夢に散る
寒灯や成形終えし寒の窪
冬空の重き手術の創痛む
冬の蝿壁の汚点となりて死す。 
ひとりごちて聞く心界の涯の蝉
顴骨の尖りに触れて汗を拭く

ページ頭に戻るhead↑

Copyright (C) 2010 UTSUGIKAI All Rights Reserved.