製作者から見た、陶磁工芸、美術について
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▲contents|焼物の流派|陶芸家と陶器屋|日本工芸会|
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この図はもちろん真面目なものではなく、芸術ヒ用の美、日本文化(古典)ヒ西欧文化(モダン)という疑似対立項も実は無意味です。 ▲ |
今日は現在までの工芸運動と工芸論について、そのあらましを説明したいと思います。 陶磁器の製作活動が、日本ではいろいろありますが、しかしこれは世界的に言いますと特殊なことで、いわゆる芸術的な分野といわれるものの中で、陶磁器が比較的重要な位置を占めているのは日本だけではないかと思います。ヨーロッパなんかでも、どちらかというと、建築、絵画、彫刻が主流で、それに比べると、工芸はやや傍系であったし、その工芸の中でも陶器というのはもっと傍系だったわけです。▲ 最近ちょっと、昔で言う純粋芸術というようなものよりも、そうでない、工業や服飾のデザインとか写真家とか、昔で言うと傍系だと思われた方が中心になってきてるので、少し時代が変わったという感じがありますが、それでも陶器がこんなに重要な立場を築いてるところは日本だけです。
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そういう中で分野によっていろいろな流れがあります。▲
日本人はわりと派閥を作る傾向があって、仲間社会ですね。それから、あの人は陶芸家なのか陶器屋なのか、それにはどういう区別があるのか、その辺のことがよく分かりません。それは全部自称で決まります。今はそういうこともあいまいになってきまして、どうでもよくなってしまいましたけれども、昔はけっこうそれがその人の人生を決めてしまったんです。
それでも、「芸術家」であるためには、どこかのグループに属さなければならないみたいなところはあります。
まず日本工芸会というのがあります。伝統工芸派といわれますが、必ずしも伝統的なことばかりやってるわけではありません。毎年「伝統工芸展」等を開催して、日本の伝統的な工芸技術を守って行こうというグループです。 ▲
`現代工芸・新工芸(日展系)日展系というのは、日展の工芸の人達が集まっているグループで、「現代工芸展」を主催する現代工芸派と、「日本新工芸展」を主催する、新工芸派に分かれています。 ↑
もう一つ、第二次大戦前に、柳宗悦によって提唱された、民芸運動というのがあります。民芸は本来は、作家仕事でないということを重要視しました。その運動によって、職人仕事という、それまで日の当たらなかったところに目が行った。柳宗悦はそういう点の功績がひじょうにある人です。
その中で、今度は『民芸』が一つの意匠を作りまして、柳宗悦の指導や影響を受けた人達、たとえば浜田庄司 や、河井寛次郎らが民芸風の作家活動をします。そうなると、いわゆる民芸派の作家なんてものも生れます。
戦後になると、クラフト運動が、アメリカやヨーロッパら入ってきました。普通クラフトというと手工芸を指しますが、民芸と違って、むしろ戦後生まれた走泥社のような前衛作陶グループとつながっています。▲
ヨーロッパやアメリカ仕込みの理論で日本の陶器の現状を変えていこうというグループが、モダンデザイン的な傾向で、陶器を取り上げたのです。▲
cその他、無所属小さなグループとか、どこにも所属しない作家もいて、それも大きく、伝統的なグループと、モダンアート的な無所属とに分かれます。伝統派は京都なんかに多い、昔からずっと茶道具ばかりやってきたような、古い陶器屋です。
私なんかの場合はどこにも入れてもらえない無所属です。今はわたし達のような無所属でもやって行ける状況ができつつあります。▲
民芸・民窯というのが日本各地にあります。これは何々焼きといわれるようなものです。もちろん日本各地の陶産地で作家活動をしている人もいますが、それとは別に、小売店に出回る手作り陶器です。大量生産品とは違いますので、それらよりは少し高いですが、作家ものに比べると安くて、いわば手作り食器というイメージでしょう。▲
2.「何焼きですか?」という質問について展示会をやりますと、そこでよく質問されるのが、「お宅のものは何焼きですか?」ということです。なぜそんな問題が起きてしまったかといいますと、柳宗悦の民芸運動の影響も大きいのです。彼が日本各地の陶器を名産品的なかたちで取り上げていったんですが、もちろん江戸時代まではそういう工業が各地に根づいました。
もっと古く、日本の権力がばらついていた戦国時代には、城下町中心にそれぞれの所で産業の振興策が行なわれました。それは幕蕃体制にも受け継がれて、各地に名産品ができる。それに柳宗悦の紹介や指導なども重なって、『何々焼き』がまた新たに生れてきた、というところがあります。▲
ところが現代では、わたし達のように外から入って、また各地へ転々とする、習ってから、自分の実家や各地に仕事場を作って独立する。そういう人には『何々焼き』がありません。たとえば常滑でも今は、みんな焼締めの赤土を使ってるのではなくて、磁器を作ってる人もいればそれぞれ個人的な作家活動が多いんですね。人ばかりでなくて、材料も技術も自由に移動できるのが現代です。
だから「何焼きですか?」ではなくて、その人がどんな仕事をやっているかを見るべきだと思います。▲
柳宗悦の工芸論にも、なるほどと思わせることがたくさんありますが、ちょっと疑問点もあります。民芸の紹介者としては優れていたんですけれども、彼の好みによって、押し潰されてしまった部分があります。彼は装飾するということに関しては、あまり好まなかった、貴族趣味的なものは排除して行ったのです。▲
『用』が美しい、
1.工芸の本質は用途である、
2.雑器の美というのはたくさん作ることによる技術の習得、『自在の境地』
3.たくさん作ってるから安い、
4.自然と風土に支えられている、
5.そして没我、近代の自我意識とは無縁の陶工が作っている、
6.だから単純なんだ、
何てことを言っています。 ▲
2.柳宗悦の民芸運動柳宗悦は貴族なんですね。ちょうど時代背景も、白樺派というような、いわゆるヒューマニズムが称揚された時代で、職人の意識を理想化してる部分があります。で、私も職人だと言うと、柳宗悦に叱られますが、でも作る側の立場から言いますと、何も無心で作ってるわけではないのです。誰だっていつも完成を目指してます。
それから、実用一点張りみたいな言い方をしてますけれでども、実用一点張りというところで、ものは作られていないのではないかということは、この前言いました。
ものを作るということに関しては人間はいつでも余りの意識があって、それは必要に対する余りではなくて、人間の意識自体が余りなんだという考え方です。▲
柳宗悦は、彼のロマンを職人の上におっかぶせてしまった。でもそれによって作れという指導までやり出すに至ると、これはもう専制です。
民芸運動にはそういういろいろまずいところがあって、さらに民芸風という意匠による作家活動が現われるということで、運動としては失敗に終ったと思います。▲
柳宗悦は民芸の無銘を強調しています。職人は名前を持たないんだという考え方です。
それに比べると、近代の西欧の意識というのは、自我を強調して、名前を売ることを考える、それは下品ではないかというのです。でもそれについてはちょっとだけ反論もあります。▲
西欧絵画で銘が描かれるのはカッコ付きにするためなのです。ヨーロッパ人は一般にキリスト教徒ですから、神が自然を作ったと考えます。すると自然は神の摂理を持っている、それを確認して行くことが画家の仕事になります。でも画家は神ならぬ人間ですから間違っているかも知れない。それぞれの個人で歪んだり曇ったりすることがあります。だから西欧絵画の銘は「誰々による」という但し書きです。
むしろ、銘が下品だと考えてしまうところに持って行った近代意識の問題が大きいのです。
逆に言いますと、銘の問題は、自我が前面に出てきて下品だという話から、今や程遠くなっています。職人・工人はどんどん作家化していますし、柳宗悦流の民芸は、民芸風という意匠を除けばもう存在しないのです。無銘の仕事、工人の仕事、そして、作家というようなことについてもあらためて考えるべき時代に来ているのではないかと思います。▲
民芸風の居間と家具調度 大井戸茶碗(喜左衛門) |
柳宗悦は昔の雑器をとても評価しました。朝鮮の李朝時代の陶器を取り上げたのも柳宗悦です。そういうものはほとんど日用雑器です。おそらく使っていた人達はほとんどその美しさに気付いていなかったかもしれません。作った人だってそれほど気付いていなかったでしょう。 ところがたとえば、有名な『喜左衛門』というあだ名の高麗茶碗、これはまったく何でもない飯碗か汁碗です。今日本の国宝になっていて、私も素晴らしいと思います。▲ それがなぜいいかを言うのは難しいですが、いいことがなぜ分かったかという理由は言えます。それはある文化の約束から自由になった、つまり、日常食器から開放されたからです。朝鮮のどこかで食器に使われている間は、まったく用途としての食器の意味に縛られていた、それがポンとはずされて、それを鑑賞しようという場所に持ってこられたわけです。機能とか実用という話からはずれたところで、ものは一つの出来事になるし、人はそれを体験できるんですね。柳宗悦もその辺のところに問題の焦点を絞るべきだったのではないでしょうか。▲
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クラフト運動というのは、戦後アメリカから入ってきました。日本人は占領下で、いろいろなアメリカの文化をいっぱい受け入れて行ったのですが、その中にモダン、現代的といわれる、近代都市的な価値観が含まれていました。クラフトもその一つです。
クラフトの説明には、バウハウス運動というドイツで起きた美術運動から説明がいります。それは、第一次大戦後の瓦礫化したヨーロッパの復興問題と絡んでいます。その頃は彼らが自信を喪失した時代です。しかし、他の世界から見ればやはりヨーロッパは中心でした。そこでどんなことが起きたかということは他の世界にとっては関心の的だったのです。
そこでダダという「芸術運動」が起きます。これは、西欧文化の既存の価値を全部否定・破壊するという。だから、戦争で壊された建物とひじょうに照応する時代です。▲
西欧の文化の厚みというのはものすごいですから、それは一面、若い芸術家にとっては重圧からの解放でもありました。
その中で、新しい文化をゼロから始めなきゃいけない、という観点から生れてきた運動がいろいろあります。たとえばシュルレアリズムや表現主義、グロピウスの作った『バウハウス』という学校も、建築を中心にして全ての分野を一まとめにしようという運動で、その一つです。
その中心は建築です。最初は手工芸を重視したんですが、だんだんそれが機能主義という考え方に落ち着いてきて、機械生産、工業技術とタイアップします。そしてついに「建築は住むための機械だ」ということになりました。機能を重視する中で、全ての調度品が装飾を剥取られ、最終的にでき上がったものが『国際様式』と呼ばれる現代都市の箱形ビルディングです。鉄とセメントとガラスの箱、中もシンプル・シャープ・モダンで機能的な最小限の調度で整えられます。▲
ところがバウハウスは、その頃台頭したナチに弾圧されて、中心人物のグロピウス、ミース・ファンデルローエ、コルビジュエといった建築家がアメリカに亡命しました。
それまでのアメリカはどんな状況だったかといいますと、第一次大戦以降、アメリカは世界の中心化していきますけれども、文化的にはしょせんヨーロッパの植民地だったのです。建築も全部ヨーロッパの模倣、寄せ集めの植民地様式でできていた。そこにバウハウスの建築家達が入ってきて『国際様式』のコンクリートの箱をたくさん打ち建てました。これも植民地的な出来事です。▲
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こういうのは、公共団地や漫画の未来都市イメージ、最近の例でいいますと『名古屋デザイン博』などで、皆さんもよくご存じの『モダン』です。要するにアメリカでバウハウス運動は全盛を迎え、支配的な思想になっていきます。その中で多くの現代芸術運動が起こったのです。▲ ←エンパイア・ステート・ビルからの夜景 |
キッチュという言葉をご存じですか?キッチュというのはブリキ細工のガタガタいう音の擬音で、安っぽい趣味に対する揶揄的な言葉です。まやかし、偽物、寄せ集め、ゴチャゴチャ、イメージとしてはトラック野郎の電球や何かをいっぱい付けたトラック、もしくはディズニーランドといった感じです。アメリカの植民地様式は全て、バウハウス派からはキッチュというふうに要約されます。
私はキッチュを非難しようと思ってるんじゃなくて、キッチュ賛成派に近いんですが、キッチュの対立項としてガジェットがあります。ガジェットというのは機能一点張り、このイメージを手近に思い浮かべると、西友ブランドの『無印良品』です。もちろんバウハウスやクラフトはガジェットです。▲
R・ライトデザインの食器(1937年)![]() <家具調度の有機的デザイン展より>(1941) |
それではバウハウス的なインテリアや工芸というのはどんなものかといいますと、たとえば戦後日本にもずいぶん紹介されて、今ではすっかり日常生活に定着した、モダンな椅子やテーブル、つるんとした流線型のティーポットや醤油さし、塩・胡椒入れ、そんなものが典型的な商品です。色は白か黒、こげ茶です。でもこれらの一見機能的な品物は、現代彫刻などとも共通するんですが、工業機械やその部品のキッチュ(模倣)ですね。 これは戦後の日本の工業生産品のデザインに大きな影響を与えて、『グッドデザイン』Gマーク付きの商品となり、陶器などの工芸的な分野ではクラフト運動と呼ばれています。▲ しかし、グッドデザインで、機能的で、使い勝手のいいはずのクラフトがどんな運命にあるかというと、あまり家庭に普及しなかった。機能的ものは人を殺伐とさせるだけではないか? |
リンダーホーフ城音楽の間 |
第一次大戦の前には、ヨーロッパではどんなことが起きていたかといいますと、あの辺はまず民族のるつぼでした。民族主義が台頭していたということもあって、いろんなことが起きていますが、もともとはヨーロッパ全体をつなぐ、貴族主義の文化の延長線上に十九世紀という時代があります。 今皆さんがご存じなのは、ロマンチック街道とか、バロックからロココ、ヴィスコンティの『神々のたそがれ』という映画なんかでも紹介された、ルートヴィヒ二世につながるヨーロッパです。 ▲ |
その室内装飾は、見事なレース模様の彫刻された家具や金できらめいて、そういう貴族趣味は、日本の輸出伊万里や清朝の装飾とも多少つながっています。
それはともかく、民族主義やブルジョアの台頭によって、貴族社会が不安定になる程、本物志向のゴチャゴチャしたキッチュに陥っていっています。▲
![]() アール・ヌーヴォーの居間(V・オルタ) |
キッチュな装飾がすごく流行った、そういう十九世紀の様式に対する反動として出てくるのが、十九世紀末のアール・ヌーヴォーです。今アール・ヌーヴォーが流行ってますが、それは二十世紀も世紀末だという連想で、仕掛人がいるのですね。でも時代背景はだいぶ違います。向こうはレース模様から来たけれども、今はバウハウスの無装飾から行く。そうすると視点が逆ですから、アール・ヌーヴォーは装飾的に見えます。ところがアール・ヌーヴォーはキッチュな装飾の否定から来ているのです。▲ |
アール・ヌーヴォーで、それまで傍系だった工芸が、初めてヨーロッパで注目されます。機能を持った形と模様、それが一体の問題として取り上げられるのがその時代の特徴です。形が決まっていて、そこに模様を付けるという意識に対して、形と模様が一体になると動きが出てくる。そこでアール・ヌーヴォーというのは、曲線や螺旋、生命的なものを強調して、全体が有機的な統一された構成を見せるようになります。▲
アール・ヌーヴォーはじきに消滅して、二十世紀を迎えると、アール・デコに取って代わられます。アール・ヌーヴォーには、好き嫌いがありまして、気持ち悪い人がいます。もう少し無機質的な感じ、シンプルで直線的になったのがアール・デコです。それには二十世紀がもたらした、工業化と都市化の波が関係しています。手仕事に対する工業デザインの優位が決定し、モードが生れる、国際都市文化、モダンの出現です。そういう意味では、バウハウスだって、アール・デコというモダンの一分派ですし、現代の文化・芸術はこの枠の中に全て納まるといっても過言ではないと思います。▲
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注及び☆読書案内
「カラーブックス日本の陶磁シリーズ1.〜14」保育社
「バウハウスからマイホームまで」 T・ウルフ…晶文社▲
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