広瀬典丈・広瀬さちよ彩色磁器ギャラリー01


釉裏紅組小鉢(広瀬さちよ)(1977年)
釉裏紅を使って、菊唐草文様を描いています。 まだ釉裏紅は不安定でしたが、それが逆に中国陶磁にもある独特の釉裏紅の味わいを醸し出しています。
(広瀬典丈)(1978年)
素地に白黒二種類の粘土を埋め込む象嵌の手法を使って、中国陶磁では定番の牡丹文様を描いています。
青磁象嵌雲鶴文水注(広瀬典丈)(1978年)
素地に白黒二種類の粘土を埋め込む象嵌の手法を使って、高麗青磁定番の雲鶴文様を描いています。
象嵌アラベスク文花器(広瀬典丈)(1978年)
素地に白黒二種類の粘土を埋め込む象嵌の手法を使って、アラベスク文様を描いています。
釉裏紅組牡丹文鉢(広瀬さちよ)(1978年)
釉裏紅を使って、中国陶磁定番の牡丹文様を描いています。中国元代・明代の磁器に憧れていて、釉裏紅の発色が比較的安定したこの頃には、それらを模した器を作りました。
釉裏紅組小鉢(広瀬さちよ)(1979年)
釉裏紅を使って、エジプトの古代文様やアラベスク文を組み合わせて作った文様を描いています。この意匠の高足碗は、この年の朝日陶芸展に出品し、入選しました。
染付葡萄文鉢(広瀬さちよ)(1979年)
染付で古染付の意匠からそのままうつした鉢です。 この頃は中国・朝鮮・日本の古典から好きなものは何でも真似られるものは真似ようという気持ちで作っていました。
焼き締めモビールのあるオブジェ(広瀬さちよ)(1979年)\300,000
黒化粧の上に紺の化粧で、七宝文の地文様を描いています。当時「中日国際陶芸展」という公募展があり、コネ無しで一般公募展で入選するには、オブジェのような、現代美術的な傾向のものが絶対的に有利だったのです。楽しい仕事でしたが、子供二人を育てながらの生活では、売れる仕事が優先、というわけで、中途半端に終わってしまい、今では少し残念です。
一宮メイエイサンモール二人展 の案内葉書タイトルです。
釉裏紅雷文ドーム形掛花生(1979年)
この掛花生は、横に置いて水盤としても使えるように工夫しました。水盤の口をすぼめていって閉じるというロクロの技法で、李朝の水滴などによくあります。掛花の穴を高台部分にあけることで2つの使い方が可能になっています。
私たちはこの形をドームと呼んでいます。
染付小文鉢(広瀬さちよ)(1980年)
染付で祥瑞(しょんずい)の意匠(明末に日本の茶人向けの注文で作られた器群で、独特の器形と小紋を多用する特徴があり、器裏に呉祥瑞の銘ののある物が多い。)をうつした鉢です。 上の染付葡萄文鉢と同じで、中国・朝鮮・日本の古典から好きなものは何でも真似られるものは真似ようという気持ちで作っていました。
染付高足碗(広瀬さちよ)(1980年)
高足碗(馬上杯)は遊牧民が好んだ器の形。絵の模様はペイズリーを思わせますが、12〜13世紀ペルシャ陶器の意匠です。 中国・朝鮮・日本ばかりでなく、世界中の器の形や意匠が新鮮でした。この模様の器は、まだ陶器を始めるずっと以前、東京でテキスタイルをやっていた頃に神田で買った、IRANIAN CERAMICSの洋書に載っていました。(さちよ)
焼き締め鉄線唐草文オブジェ(広瀬さちよ)(1980年)
白い素地にゴム液で鉄線唐草を描き、黒化粧してから乾いたゴムを剥がすと黒地に白い唐草が浮き上がります。反転して白地に黒のオブジェも作りました。
焼き締めモビールのあるオブジェ(広瀬さちよ)(1981年) \400,000
黒化粧の上に緑の化粧で地文様を描いています。これも「中日国際陶芸展」入選作です。
焼き締めモビールのあるオブジェ(広瀬さちよ)(1981年)\400,000
焦げ茶の化粧の上に茶と銀で地文様を描いています。これは「朝日陶芸展」入選作です。
釉裏三彩花蝶図鉢(広瀬さちよ)(1981年)
中国明代成化年代に景徳鎮の官窯で作られた彩色磁器は「豆彩(とうさい)」の名で知られています。薄手の精緻な磁器のフォルムに染付で骨描きし、赤・黄・緑などの上絵で仕上げる高雅な技法。上品で優しい絵付けが気に入っていて、その意匠を呉須・釉裏紅・鉄絵の釉裏三彩でうつすことが楽しみでした。第2回松屋銀座二人展 の案内葉書タイトルの一つです。
染付釉裏紅葡萄文水指(広瀬さちよ)(1981年)
古染付にある葡萄の意匠を釉裏紅も加えて水指に仕上げています。
←ギャラリー02 →03 →04 →05 →06 →07 →3 →4 →5 →6
ページ頭に戻るhead↑