村松
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陶磁器の世界に入ったきっかけというのは何だったんですか?
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広瀬
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思いがけないことで、偶然古い焼物に接したんです。旅行中に多治見の古陶磁陳列館にまいりまして、そのとき、ふと出会った織部とか志野に感動して「わ、すごいな」って思いました。
それまでは、洋服のテキスタイルデザインをやっておりまして、ぜんぜん焼き物とは関係なかったんです。
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村松
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広瀬
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二十歳くらいのときです。もともと絵は好きで高校時代は油絵を描いてたんですが、まさか焼き物の世界に入るなんて夢にも思いませんでした。ただやってみたいという、それだけでした。
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村松
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テキスタイルデザインをやめて、陶磁器の仕事に入っていったという、そのあたりのいきさつはどうしてですか? ↑
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広瀬
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テキスタイルデザインの仕事は、洋服になる過程の一部でした。焼き物を初めて見たときに感じたことは、ひょっとしたら、それを全部自分でできるんじゃないかなということです。
勤めていたテキスタイルデザインの会社は幸い小さかったので、図案も色も考えて、全体の大きな布にするというところまでできました。雑誌に、手がけた生地が仕立てられて出ていると「ああなるほど」と思うんです。でもそれはぜんぜんわたし達と関係ないところでやられてますから。
最初、洋服になったものを見たときには、やはり嬉しかったですね。大きな花がパッパッと散って、「洋服にするといやに花が大きいな」とか思ったり、要するに生地で考えてたときとは違ってるんです。完成されたんだなど思いました。 ↑
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村松
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和服の染色なんかには興味は無かったんですか?
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広瀬
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ぜんぜん和服について知識が無かったので見ませんでした。洋服の場合、 テキスタイルデザイナーは素材を提供する側で、服にすると模様がどう出るかはわかりません。着物では模様が先に来る、それをいかすかたちで、仕立てられているんです。
模様の捉え方が、着物と洋服では逆ですね。でもそのときには、わたしの世界に和服というものが無かったので、染色側が主役という見方はできなかったんです。 ↑
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村松
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焼物の世界に入るきっかけになった、 織部については、今はどんなふうにお考えですか。
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広瀬
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今から見ても織部はやはりいいですね。形と絵がとてもあっていて、動きがあります。それに何げないですね。形が変形していて、シンプルな形じゃないですが、その中にすっと 青織部の釉がかかっていて、パッと絵付けがある、ああいうことは始めから計算された、テキスタイルデザインの画面では考えられません。
志野もそうですね。鉄絵でサツと描かれた絵ですが迫力があります。絵と形が一体のものです。 ↑
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村松
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焼物の仕事に入る前と後では、絵に対する考えは変わりましたか?
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広瀬
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現在から見ると変わりましたね。その当時はあまり気がつきませんでしたが。
白い紙の上に描くものは、自由で何のとっかかりもありません。形があることによってそれを見ます。すると形が絵を描くときのとっかかりになるんです、その形を見ながら、こういう線はこんなふうに描こうという具合に、形に即して考えます。
紙の表面のような、自由だけどとっかかりのないものよりも、とっかかりのあるものの方がいいんです。何かがあるとそこから始まります。
自分でこんな絵を描きたいと思ったってだめで、よくよくその形を見てるいると、ここにはこんなふうにというように、形から絵が引っぱり出されるんです。 ↑
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村松
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焼物の仕事は何から始められたんですか?やはりどこかの工房に入って…?
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広瀬
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いえ、最初は瀬戸の訓練校からです。何もわからない世界で、窯元から入るということも知らなくて。まず基礎的な知識を得る学校に入りました。
始めは毎日毎日土錬りです。それをこなして、次にロクロというふうに段階を経ていったわけです、その後瀬戸でしばらくは窯元などに入って、勉強しました。 ↑
わたしはもともと絵を描きたかったのですが、その土台が必要で、形を作ることを始めたんです。でも、あるときから、ただ形を作るだけじゃなくて同時に絵付けがしたくなって、それで京都にまいりました、手描きの仕事が瀬戸には少ないんですね。どちらかというと量産の土地ですから。
わたしにとって絵はその器を感じるためのものです。白磁を見ていても入っていけないんですね、白い画面を見ても何も感じられないのと同じで
、たとえば、引っかき傷があると、そこで何か思うことが生まれる、それを理解するための導きですね。一般的に言っても、 染付の器が身近に感じられるのは、その辺じやないかと思います。そんなところから、器がその人の一部になっていくような気がします。 ↑
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村松
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作品を拝見させていただきますと、小さなペンダント、タイピンなどから、茶碗、湯呑、壁掛けとか、花がいけてあったつするのもありますね。そして壼があったりと、いろいろ幅広いんですね。
これは、限定しないで幅広い作品を作っていこうというお考えなんですか?
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広瀬
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わたし達の場合は、ひとつ鉢にしても、何にでも使いたいと思うんです、形も一つにかぎらずに、花瓶から湯呑、そして、自分でも身に付けたいものとして、アクセサリーなども作っておつます。いろいろ使える方がいいと思うんです。
一つに限られたものは、それだけにしか使わないし、動きの無いものになりやすいですね。
そうするとあきられて、いつか片隅に押しやられてしまうんじゃないでしょうか。
いつでも使って、いつでも眺めていると、ほんとうに大事なものになっていくと思うんです。 ↑
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村松
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一般にわたし達は、陶磁器などと言っておりますが、 陶器と磁器はどう違うと考えればいいんですか?
また広瀬さんがその内で、磁器をお仕事に選ばれるのはなぜなんでしょうか?
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広瀬
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ごく簡単に言いますと、 磁器は陶石などの石を粉にして、それに粘土を少し混せたりして作るものですね。陶器は粘土を使います。粘土だけの方が粘りがあって使いやすいんです。磁器ですと、石の粉ですから、成形上も、耳を付けたりするときにくっつきが悪いとかいうこともあります。磁器は、焼く温度も高くて、熱で軟らかくなってしまいますから、キズが出やすいですね。 ↑
あえてそれをやっているのは、磁器の肌は陶器よりもきめが細かくて白いので、絵の映える磁器を選んでいるわけです。それと、わたしはガラスにとても惹かれるんです。磁器はガラスに材質感が似てますね、その中で、ガラスからイメージを持ってくるということは、けっこうありますよ。 ↑
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村松 |
でもガラスと磁器はやはり違いますよね。
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広瀬 |
ええ、違うからかえって面白いんです。ガラスは透明ですね。焼物はもちろん透けて見えることはないわけです。その違いがガラスの麸力です。
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村松 |
これからの目標というのは持っていらつしやいますか?
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広瀬 |
釉裏五彩を生かした仕事をずっと続けていきたいですね。器の肌と絵とが、場面に溶け込んでいく感じに描いていけないかと思っています。ただ、焼いたときに、色彩が鮮明にあがらなかった場合とか、技術的な問題もあります。
アール・ヌーボーのガラスの装飾を見ていると、凹凸をつけながら描かれたりしてます。彫りを入れてから釉裏五彩の絵付けをするということも今新たに考えていることです。
片身変わりなどの空間処理と、彫りを組み合わせたら、何か表現できるような気がします。
まあ、形もそのときどきでどんどん変わっていくと思いますし、わたし達にも、先はどうなるか解らないところでやっていますが…。 ↑
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村松 |
今の陶芸界や美術一般に対してのご感想はいかがですか。
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広瀬 |
展示会なんかで、わたしの作品を見る人達については、わりとわかってもらえているという気がします。これが公募展となるとそれぞれのカラーがありますから。
審査員の考えがあって、そこからはみだすものはだめだという感じですね。
でも不思議ですね、わたしが興味を持ってから、その後で日本の絵画とか アール・ヌーボ一とか、 ジャポニズムというようなことがよく取り上げられていることに気づきました。
わたしは、ぜんぜんそれを知らなかったんですが、もしかしたら、時流に乗ってるいると言われそうですね。
金・銀を使い始めたら、それも今はやっているらしい。いやに似てるいるなど思います。わたし自身は情報に疎いし、かかわりないと思っていましたけれど。もしかしたら、そういうものを感じてやってるのかもしれませんね。 ↑
だからといって、そういうのにずっと乗っていこうという気はありません。マイペースでやっていきたい、公募展も、自分のやりたいことをやって、それで発表できればいいと思いますし、受入れられなければ、それはそれで仕方がないと思います。 ↑
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村松 |
なるほど、わかりました。それでは、ご主人とお二人で、すばらしい世界を作っていっていただきたいと思います。どうも今日は、ありがとうございました。 ↑
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